89.この役に立たないブログ(1)

「先週、自転車でどこどこに行きましてね」
「え、そんな遠くまで?疲れませんか?」
スポーツバイクに乗ることが趣味になってから、人と世間話をする時に、こんな会話が増えた。
変わった人扱いをされることもあるが、たまにすごく食い付いてくれる人もいる。
スポーツバイクという共通の趣味を持つ人には、あまり会わないが、体を動かすこと全般が好きな人は、興味を持って俺の話を聞いてくれる。

「いくらぐらいするんですか?」
「ああいう自転車って、すごく軽いんでしょう?」
「ピチピチの服を着て走るんですよね?」
いつも聞かれることはだいたい同じで、俺は用意した答えを返す。
「前にも誰かにこの話をしたよな」と思いながら。

ある時、酒の席でいつもと同じ会話を一通りした。
スポーツバイクに乗り出したきっかけや、ロングライドする度に繰り返す失敗談を話し、2時間ほど経過。
珍しく、俺の話を楽しそうに聞いてくれる。
そんな危篤な人が話相手だったので、俺もノリに乗って戯れ言を連発していると、「それ、本にまとめて出版したらいいんじゃないですか?」と提案された。
「お、いいっすね~」と言いながらも、「誰が買うねん?」と心の中でつぶやく俺。

また別の酒の席で、「趣味はロードバイクに乗って云々」を話し、その時は、場の空気を冷たい方向に変えてしまった。
それぞれのペースで酒を飲み進み、話題がブログになった。
ひとりの酒飲みが、ブログを始めてみたいらしい。
俺はまわりからパソコンやネットに詳しいと誤解されているようで、「ブログって、どうやって作るんですか?費用とか労力は、けっこうかかりますか?」と尋ねられた。
「専門的な知識が無くても、無料ですぐにブログを始められるサービスがあると思いますよ。記事を書く手間と時間は、どうしても必要になりますが。あと、その場合、広告が入ったり、容量に制限があると思います」と回答したところ、ふと思い出す。
「そういや、あいつ(知り合い)、サーバーを間借りさせてくれる言うてたな。俺もブログやってみよか」。

スポーツバイクに乗り出してから、メンテナンスのことや走りやすい道などを調べる機会が多くなった。
それらは、ただの情報、ただの記事なのだが、よく考えてみると、会ったこともない人が、俺に教えてくれているということになる。
俺は、「世の中には、有益な情報を教えてくれる人がたくさんいるなぁ」と感謝する。
そして、「俺もブログをするなら、人の役に立つ記事を書こう」と思い、暇な時に、30~40の記事を書いてみた。

それから数年たち、ある人の自転車ブログを読んでいる時に思い出す。
「あ、前にブログの記事を書いたよなぁ。結局、ブログを始めず、そのままほったらかしてるなぁ」と。
今年(2019年)の年始、暇だったので、「そろそろブログやってみよかぁ。せっかく記事も書いたし」と、パソコンを立ち上げ「blog」フォルダを開き、以前書いた記事を読み返してみた。
年明け早々、「めちゃめちゃキモい」と本気で感じた。

88.イメージトレーニングの日々(7)

夏の甲子園出場が決定した。
合宿でボロボロになるまで特訓した後、聖地に乗り込む。
初めての甲子園だ。
いつもの地方球場と違い、グラウンドの色も観客の数も違う。
特別扱いされている気分だ。
勝ち取った権利と思い、優越感に浸る。

夢の舞台、甲子園。
ついに1回戦が始まった。
「力まず、楽にいこうや」と、戦況を見詰めながら、俺は一人言を言う。
勝ちに執着しなくてもいい。
そんな心境になっていたのだ。
「育て上げた選手が、地方予選を勝ち上がって、俺を甲子園に連れてきてくれた。それで充分じゃないか」
「我が野球部を長期的に見た場合、とりあえず甲子園に出場できただけで御の字じゃないか」
腰がひけたわけではない。
それなりの達成感を得て、心境が変わった。
試合は、あっさり負けたが、兵庫県代表 Fラン大学付属高校 野球部は、甲子園に出場経験があるチームになった。
充分、快挙じゃないか。
地元では、偉そうにできる(甲子園も地元兵庫県なんですけどね)。

慣れ親しんだ学校のグラウンドは、黒土になった。
名門校の証である。
いつものことだが、3年生が引退し、新チーム発足。
我が野球部のエースは田島。
タジマジンは、兵庫県で最強クラスに進化していた。
「無敵」という言葉が相応しい男である。

翌年、夏の予選は、相手をまったく寄せ付けず、カップ麺を作るような簡単さで優勝を飾る。
選手全員が、バケモノのようだった。
勢いそのままに甲子園の1回戦。
勢いづいた我が野球部は、すんなり勝った。
2回戦もすんなり。
3回戦は、東京の東村山にぐちゃぐちゃにされたが、俺の心は満たされていた。

「楽しかったなぁ」、「燃えたなぁ」と思いながら、俺はPS vitaの電源を切った。
球児たちと熱い夏を何度も過ごした。
これは、良いゲームだ。
やってみてよかったなぁ。

感慨にふけた後、俺は、現実世界に戻った。
来月ある草野球の試合で活躍するために、練習をしなくてはいけない。
だが、雨が続く毎日だったので、練習できず、イメージトレーニングをしようと思ってパワプロを買ったのはいいが、はまりすぎた。
現実世界における俺の野球技術は、一切進歩していないではないか。

やっと雨があがった。
今日の夕方、暇な時間もある。
久しぶりにロードバイクに乗って、サイクリングロードに行き、橋脚を相手に壁あてをしたいと思う。

87.イメージトレーニングの日々(6)

新生 名門 Fラン大学付属高校 野球部。
守りを中心とした洗練されたチームに生まれ変わって2回目の夏。
1回戦の相手は、総合力Aの強豪校。
最悪である。
「やる前から負けること考えるやつがいるかよ」と、俺の耳元でアントニオ猪木がささやいた気がするが、はっきり言って、微塵も勝てる気がしない。
データ上、格が違うのだ。
だが、今までの努力が水の泡になるのも絶対に嫌だ。
ここで弱気になるよりも、今やるべきことに全力を出す。
それによって、活路を見出だせるかも知れない。
俺のできることは、的確な指示を送ること。
戦力で負けても、戦略で勝つのだ。
俺は、いつも以上に緊張感を持ってのぞんだ。

序盤から、1点、2点と失点を重ねる。
打線の方も沈黙し、手のうちようがない。
期待に胸をふくらませた2回目の夏は、一瞬で過ぎ去った。

手塩にかけて育てた3年生が引退し、チームからも俺の中からも、魂が抜けてしまった。
まだ、才能抜群な上に成長過程でもある稲葉と田島が残っているが、以前ほどの熱い気持ちは、俺には無い。

新チームになり、なんとなく練習の日々を送り、夏が終わった。
そして、秋の大会が始まったのだが、予想に反して好成績をあげる。
結局、春の選抜には出場できなかったが、「我が野球部も捨てたものではないな」と感じた。
グラウンドで練習する選手たちを見詰めながら、「もう一度、本気で甲子園を目指してみるか」と、俺は自分のスイッチを入れた。

この判断は、正しかった。
去年よりもさらにたくましくなった稲葉と田島を軸にした新チームで、黄金時代を迎える。

次の夏、1回戦からすいすいと勝つ。
何をしても当たる。
俺は、「名将」や「魔術師」と呼ばれてもおかしくないほどの采配を連発し、「負けることなどありえない」と、再び、自信がみなぎった。
また、快進撃を続けた時の感覚、勝っている時の感覚を取り戻した気がする。

決勝戦においても、俺の采配は的中し、選手たちも能力以上のものを発揮してくれた。
正直、あっさり勝ちすぎて、何の感動も込み上げることなく、甲子園への切符を手に入れた。
試合後、スコアボードを正面に、選手たちが並んだ。
そして、我が校の校歌が流れるではないか。
何か馴染みのあるメロディー。
ゲームの中で、何度も聴いたあのメロディー。
これを校歌にもってくるなんて、なかなか味のある演出をしてくれるよな、コナミ。
「俺たちは、やっと甲子園に行くんだ」と、ここで初めて達成感と感動が押し寄せてきた。
怒涛のように。

86.イメージトレーニングの日々(5)

夏の地方予選1回戦。
進化をとげた新生 名門 Fラン大学付属高校 野球部にとって、とるに足らない相手であった。
投手がその実力を発揮し、野手が鉄壁の布陣で、相手の攻撃を抑え込む。
結果だけではなく、内容としても完封できたと思う。
俺のやりたい野球を実現してくれた選手たちに、素直な気持ちで感謝した。

2回戦からも、ロースコアの試合が続いたが、ギリギリのところでホームランが出て逆転勝利。
また、圧倒的劣勢でも、「魔物」を発動することで、コールド勝ちを収め、流れは完全に我が野球部に向いていることを確信する。
ちなみに、「魔物」とは、試合を崩壊に導く、選手の固有戦術である。
選手の性格によって、「ファイト」や「熱血」など必殺技のようなものがあるのだが、内気な性格の選手には、固有戦術「魔物」が付与される。
これを発動すると、相手チームがエラーを連発してくれるのだ。
バットにボールを当てさえすれば、相手がエラーをしてくれて、大量得点が入る。
それまでの試合の流れを、完璧にぶったぎるジョーカーである。

試合をすれば、勝つ。
何をしてもうまくいく。
選手たちも、そんな感覚に陥っただろう。
勿論、俺もなのだが、あまりにうまくいきすぎて怖い。
落とし穴が待ち受けてそうで、不安になる。

ついに迎えた決勝戦。
「頑張った結果、ここまでこれたじゃないか。俺も選手たちもよく頑張ったよ。もう充分じゃないか」と、俺は弱気になり、後々傷付かないよう自分に保険をかけようと思ったのだが、監督の俺がこれではいけない。
選手たちを信じよう。
新チームになってから、自分たちの野球を貫き、格上の相手にも勝利をもぎ取ってきたではないか。
選手を信じよう。
自分を信じよう。

完封負けをくらった。
育て上げた3年生が、たった1敗、僅か1敗を喫しただけで消え去ってゆく。
残酷な世界だ。
だが、我が野球部には、稲葉が残っている。
彼を中心に、最強チームを作るのだ。

秋も冬もただひたすら走り込み、投げ込んだ。
コツコツと練習を重ね、俺が理想とする、落合中日野球ができるチームに近付いた。
4月になると、新入生で田島という投手が入部する。
あの中日の投手を彷彿させる名前だ。
頑張れ、タジマジン。

昨年の夏、決勝まで進んだ我が野球部。
練習試合をしても、そんじょそこらの相手には、勝って当たり前。
守り勝つ野球をしつつも、稲葉が打線を牽引してくれるので、攻撃力も上がった。
昨年以上の手応えを感じ、「今年こそは、夢の甲子園」との思いを胸に、耳障りな蝉の鳴き声を浴びながら、選手たちはベンチから飛び出し、グラウンドに整列した。
プレイボールを審判が告げ、1回戦だ。
戦いの火蓋は切って落とされた。

85.イメージトレーニングの日々(4)

新生 名門 Fラン大学付属高校 野球部の快進撃は続く。
練習試合において、弱小高校にもそこそこの高校にも、守り勝つ野球ができた。
投手が踏ん張り、野手が守り立て、勝ち方を知るチームに生まれ変わったのだ。

そんな矢先、バレンタインデーの日に、数人の選手がチョコレートをもらったと、うかれているではないか。
中には、彼女ができたやつもいる。
監督である俺が禁欲的な毎日を送っているにも関わらずだ。
選手を呼び出し、「今のお前は、女にうつつをぬかしている場合ではない。色気付くのは、夏の地方大会を制し、夢の舞台、甲子園に立ってからにしろ」と説教したい。
女とは、強制的に別れさせたい。
だが、そんなコマンドは無かった。

春になると、部を引退していた3年生が卒業。
中には、プロ入りした選手もいる。
3年生とは入れ替わりに、1年生が入ってきた。
そこに、ひとりビックネームがいるではないか。
「稲葉」
元ヤクルト、日ハムで、今は侍ジャパン監督のあの人を彷彿させる名前。
能力値を確認すると、攻走守、すべてにおいて高い。
いきなり主軸になる人材である。

過去に、今岡という選手がいた。
元阪神の天才打者と同姓だ。
彼も1年生、入った時点でバケモノとしか言い様がない能力があり、試合でもその鬼畜っぷりを発揮した。
だが、監督である俺の未熟さのせいで、彼の代に甲子園出場は果たせず、俺なりに罪悪感が残った。
優秀な人材を最高のステージに導くのが、俺の責任としてあるのだ。
「稲葉、お前を甲子園に連れて行ってやるからな。絶対に」と、俺は心に誓った。

練習を重ね、それが能力に反映される。
稲葉の成長を楽しみに見守るとともに、他の選手もチェックしたところ、偏差値29の選手がいるではないか。
「そう言えば、テストの度に結果が悪くて落ち込み、練習効率が下がる選手がいたな」と思ったが、それにしても、偏差値29はひどすぎる。
狙って叩き出せる数値ではない。
今まで何を考えて生きてきたのだろうか?
彼の人生を考えると、「野球をしている場合ではない」と思うのだが。

梅雨が明け、待ちに待った俺たちの戦いの舞台が、今、そこにある。
天才稲葉、女にうつつをぬかすやつ、偏差値29たちを率いて、夏の予選が始まるのだ。
新チーム結成から今に至るまで、かなりの手応えを感じている。
後は結果を出すだけだ。
耳障りな蝉の鳴き声を浴びながら、選手たちはベンチから飛び出し、グラウンドに整列した。
「プレイボール」と審判が告げ、始まる。
1回戦だ。
戦いの火蓋は切って落とされた。

84.イメージトレーニングの日々(3)

クズの吹き溜まり、名門 Fラン大学付属高校 野球部を立て直す。
その第一歩が、確実に勝ちを拾える投手、守備重視のチームへと変貌すること。
そして、アイテムを使い選手の能力を高めたり、効率よく練習スケジュールを消化するなど、パワプロにおける基本中の基本をしっかりおさえる。
今までは、なんとなくカレンダーに沿って突っ走ってきただけだったが、これからは違う。
疲労がたまろうが関係なく、練習につぐ練習の日々を送らせてきた俺。
選手には、鬼に見えただろう。
だが、これからは、選手の疲労を意識しながら、休み休み練習させ、練習効率が上がるタイミングで猛練習をさせるのだ。
何事もメリハリが大事である。
「うん、完璧だ。恐ろしいほどに」
もう、俺には、明るい未来しか見えない。

夏の大会、1回戦であっさりと負けた後、3年生が引退し、2年生が主軸となった。
ここで、「新生 名門 Fラン大学付属高校 野球部」が誕生する。
さっそく、「投手、守備を重視した新チームを率いて、春の選抜を目指すぞ!」と意気込んだが、秋の大会ではいつも通り1回戦負け。
「焦るな。すぐには結果が出ない」と自分に言い聞かせ、少しずつではあるが、選手とともに俺自身も成長していった。

年が明け、選手の能力を確認すると、投手はそこそこのレベルまできている。
野手も、守備と走塁に関しては、それなりに戦えそうな能力値だ。
我が野球部と同レベルの弱小校に練習試合を申し込み、これまでの練習の成果を確認する。

過去のチームとは、別物になっていた。
投手が踏ん張り、野手も固い守りで投手を支え、簡単には点を取られない。
今まで、ダイビングキャッチなどの好プレーを、相手チームがしているのは何度も見たが、まさか我が野球部の選手がするなんて、信じられなかった。
また、サード、ショートの選手については、守備の他に肩を鍛え上げていたこともあり、鉄壁の三遊間を構成した。
軽くゴロをさばくと、矢のような送球で刺す。
見ていて、「痛快」の一言である。
攻撃面では、前ほど迫力は無くなったが、走力を重点的に伸ばしたので、これまでシングルヒットだった打球が、長打になった。
指示を出す俺も、チームの特色に合わせて作戦を変え、バント、スクイズを多様するようになる。
ビッグイニングは作れなかったが、相手の攻撃を封じ込み、終始、主導権をこちらが握る展開で、勝利をおさめた。

夏の地方予選に向けて、そして夢の舞台甲子園へ、俺はかなり良い感触をつかんだ。
また、それは、俺だけではない。
選手たちにも問いかけたところ、俺と同じ気持ちのようだ(選手たち=ゲーム機本体)。
新生 名門 Fラン大学付属高校 野球部は、これから快進撃を続ける。

83.イメージトレーニングの日々(2)

名門 Fラン大学付属高校 野球部。
パワプロの世界で覇を唱える時がきた。
俺は、選手達に渇を入れ、そして檄を飛ばし、育て上げ、甲子園の舞台で全国制覇をなしとげるのだ。

ゲームスタート。

基本、俺は説明書を読むようなチマチマしたことはしない。
硬派だ。
ゲームを進めながら、そのシステムを理解していく。

赤のマスに止まって、選手が怪我してテンションが下がろうが、緑のマスに止まらず疲労がたまろうが関係無い。
「世の中は理不尽なものだ」ということを、選手に叩き込む。
現実世界では、ただの虐待で社会問題になるかも知れないが、俺は自分の教育方針を曲げる気はない。
そして、初の兵庫県予選まで、ビシビシ鍛えていったところ、3回戦まで進み、やはり俺の方針は間違っていないと確信した。

ところが、創部して10年、一度も甲子園に駒を進められない。
最高でも、予選の準々決勝どまりだ。
古田や矢野など、元プロ野球選手を彷彿させる能力の高い1年生が入って、どれだけ彼らが活躍しても、試合では勝てない。
「もしかして、俺の方針に誤りがあるのか?」と、自分に矢印を向けようとしたが、「選手が悪い」と思うようにした。
自分自身を傷つけたくない。

さらに10年経っても、甲子園出場が手に届かない。
予選の決勝までは1度いけたが、4-0で負け。
数字以上に、完敗を実感する試合内容であった。
ここでやっと「俺に非がある」との考えに至る。

何かがおかしい。
俺が理想とする野球は、打ち勝つ野球だ。
「Fランいてまえ打線」、「偏差値で負けても打ち勝て」をスローガンに、寝る時間を削って選手たちと向き合い、選手たちも練習に取り組んだが結果が出ない。
もはや、クズの吹き溜まりと化した我が野球部を立て直すには、どうすればよいか。

「よし、攻略サイトを見よう」ということで、とりあえず、原因の究明に努めた(最初からしとけよ)。
それでわかったのが、まず、チーム作り。
俺は、打撃を重視したチーム作りをしていたが、打線は水物とはよく言ったもので、練習して得た打撃の経験値は、結果に繋がりにくい。
なので、投手と守備、走塁を軸に選手を育成するのが正解だ。
考えてみると、今まで、かなり大味な試合が多かった。
いくら打っても、投手陣と守備が崩壊し、守りきれなくて負けた展開が、何試合あっただろうか。
また、まだ打てる時はいいが、相手チームが好投手を投入すると、こちらは手も足も出ない。
そんな展開もあった。
だが、これからは違う。
守りを重視したチームに生まれ変わらなければいけないのだ。
これに気付いたことで、我が野球部は、甲子園に大きく前進する。

82.イメージトレーニングの日々(1)

最近、雨の日が続いている。
おかげで、ロードバイクに乗ることもジョギングすることも、それに、草野球の個人練習もできない。
球場を借りて試合をするのは来月なのに、今のまま満足に練習ができず試合にのぞむと、間違いなく大恥をかく。
酔った勢いで、「プロ相手でも、2軍の球なら余裕で打てる」など、根拠の無い自信というか、数々のはったりをかました俺。
どう帳尻をあわせればよいのか。
かなり苦しい。

「まぁ、悩んだところでどうなるわけでもなく、今、俺にできることは、試合までの残された時間、できるだけ練習をすることだ」と、前向きに考えてはみたものの、「これでもか、これでもか」と雨が降る。
毎日、毎日。
この、にっちもさっちもいかない状況下で、「今、本当に俺にできることは何か?天候に左右されず、俺にできることは何か?」を突き詰めた結果、「イメージトレーニング」と答えが出た。

野球のイメージトレーニング。
「YouTubeで、プロ野球の好プレー集を観るだけというのも何か違う気もするよなぁ」と、他に何かないか、色々な選択肢を出そうと試みた。
そして、煮詰まってから、ふと、「あ、野球ゲームなら、自分がプレーに参加している気分になれて、少しはイメージトレーニングに役立つかも」と思い、さっそくパワプロ2018を買う。

俺は、もともとパワプロが好きではない。
プロスピ派だ。
今年の4月に、プロスピの新作ソフトが久々に出るということで、かなり楽しみにしていたのだが、発売が7月に延期したというニュースをみた。
がっかりだ。
だが、良いニュースも目にする。
パワプロ2018を持っていると、4月、2019年のデータに無料アップデートされるという。
「2019年のデータで遊べる上に、イメージトレーニングに役立つ」ということで、購入を決断した次第である。

パワプロ2018。
初めてパワプロシリーズをするにあたって、色々調べてみると、好きなチームでシーズンを戦う以外にもいくつかのモードがあった。
ペナントレースは2019年のデータになってから楽しむとして、今は高校野球の監督になるモードを選択する。
その名も「栄冠ナイン」。
自分が高校野球の野球部監督になり、選手を育成する。
試合では指示を出し、相手との駆け引きを楽しみ、甲子園で優勝を目指す。
高校野球の頂点に立つのだ。
うん、スケールのでかい話である。
俺の中で、完璧にスイッチが入った。

こうして、兵庫県に「名門 Fラン大学付属高校 野球部」が産声をあげた。

81.ナンバ球場のヤジ(2)

ナンバ球場にも阪急の西宮球場にも、近鉄の藤井寺球場にも通ったが、当時のパ・リーグはヤジが素晴らしかった。
特に、ナンバ球場のものは傑作と思う。
南海ホークス自体、成績は低迷していたし、ナンバ球場はスッカスカだったが、唯一、観客のヤジには値打ちがあった。
俺のナンバ球場における一番の思い出も、野球の内容よりヤジだ。

小学校4年生の夏休み、叔父が仕事の関係でナンバ球場のチケットをもらい、俺も連れて行ってもらった。
チケットは2枚だったが、近所の仲のいい友達も連れて行き、小3だった彼を幼稚園児ということにして、無理矢理3人で球場に入る。
めちゃめちゃである。

相手は西武ライオンズ。
この年、リーグ優勝、そして、日本一のチームとなる。
投手には東尾、工藤、渡辺、郭、松沼。
野手には、秋山、石毛、辻、金森、プロ1年目の清原。
ブコビッチという外国人もいたな。
結構な顔ぶれで、西武は注目されていたのだろう。
珍しいことに、この日のナンバ球場には、観客がつめかけていた。

試合の中盤から、南海は敗色濃厚になる(スコアは覚えていないが)。
「はよ終われー!」
「今日もはよ終われー」
南海ファンからヤジが飛んだ。
前日、当時の最短記録だったか、2時間ちょっとで試合が終わったので、「どうせ負けるなら、早く終われ」というあてつけを込めたヤジだ。
「はよ終われー!」
南海の応援団のおっちゃんが叫ぶ。
「はよ終われー!俺は、はよ帰って、ひょうきん族見たいんじゃ!はよ終われー!」と大声で叫ぶ。
それに対し、観客のひとりが、「ビデオ撮っとけばええやんけー!」と返した。
応援団のおっちゃん、さらに大きな声で、それに応える。
「俺の家にはなー!ビデオがないんじゃー!」
一塁内野で爆笑がおこった。
「野球なんてどうでもいい」と俺だけではなく、みんなが思っただろう。

そんなナンバ球場も無くなり、今はなんばパークスが建つ。
大阪市内にプロが使う球場は、一時期無かったが、俺が大学生の時に大阪ドームができた。
今は、京セラドーム大阪という名前かな。
一昨日、そこに侍ジャパンの応援をしに行った。
相手はメキシコ。
勝てそうで勝てなかった印象が残る。
俺としては、阪神ファンなので、阪神で唯一選出された大山選手の活躍を観たかったが、最初から最後まで試合に出なくて、がっかりだ。
とんかつ弁当を食いながら酒を飲み、だらだらと3時間を過ごし、家に帰った。

昨日は、雨の中、新日本プロレスを観に尼崎へ行った。
こっちの方は、かなり燃えた。
燃えまくった。

80.ナンバ球場のヤジ(1)

俺がロードバイクに乗り始める少し前から、世の中は、小さなロードブームになっていたようで、町の自転車屋とは違う、スポーツバイクに力を入れたお店が増える傾向にあったようだ。
ブームから遅れて(別にブームを意識したわけではないが)、その流れに合流した俺は、ロードに乗ることを楽しみ、また、スポーツバイク専門店をうろつくのも楽しみのひとつになった。
ある日、自転車雑誌を読んでいると、難波にそこそこ大きなお店ができたという記事があったので、「一度行ってみようか」と、訪れてみた。
品揃えと、推しているメーカー、値段。
俺が興味ある点をざっと見てまわり、話しかけてきてくれた店員さんと少しコミュニケーションをとって、何も買わずお店を出た。

駅に向かって歩いていると、なんばパークスがある。
変わった形をした商業施設。
実家は難波から近いが、俺がひとり暮らしを始め、難波にあまり行かなくなってから出来た施設なので、身近に感じない。
ただ、子供の頃、ここにナンバ球場という南海ホークスのホームグラウンドがあり、それはとても思い出深い。

小学校の3年生で少年野球チームに入り、4年にあがる頃には野球をやめた俺。
親が、勉強させようと、電車で通わなくてはいけない所にある進学塾に俺を入れた。
しかし、夏頃には、俺は完全にドロップアウト。
下手したら京大や阪大に行くような子供たちと、学校ですらたいして成績がよくない俺が、一緒に勉強するには無理があった。
いつも塾に行くふりをして、駅に行き、環状線を何周もしたり、駅のベンチでダラダラしながら時間を潰して、暗くなってから家に帰る。
土曜日は、昼から塾に向かうふりをするが、これまたさぼる。
だいたい、ナンバ球場で野球を観ていた。

当時のパ・リーグは、絶望的に人気がなく、PLの清原が入団した西武のみ、少し集客力があったかと思う。
南海に関しては、本拠地がある大阪ですら、かなりの物好きしか応援していなかったのではないだろうか。

スッカスカのスタンドで野球を観る。
俺は南海ファンではないが、野球を観るのは楽しかった。
ちょっと小腹が空いたなと、売店に行ってみると、今の球場のように、弁当屋、お好み焼き屋、ケンタッキーなど多種多様なお店があるわけではなく、スタンド毎に「売店」がひとつあるだけ。
しかも、メニューが、ビールとスルメとコアラのマーチ。
確か、この程度だったと思う。
やる気があるのかないのかわからない売店だ。

阪神ファンの俺ではあるが、思い返すと、初めて生で野球観戦をしたのは、甲子園ではなくナンバ球場だった。
4月の日曜日に叔母が連れて行ってくれたのだ。
結果が決まるシーズン終盤ではなく、開幕して間もなくだったので、まだ優勝を信じるファンがいたのだろう。
球場は満員ではなかったが、妙な熱気を感じた。
相手は近鉄バファローズ。
試合は近鉄が勝ったが、スコアは覚えていない。
ただ、迫力は覚えている。
ただのレフトフライでも、「おー」と声を出し、前のめりになり、俺は夢中に野球を観た。